院長のことば
若い頃、私は科学者になりたかった。
自分の研究が形になり、それが人類の文明に貢献することで、自分が生きた証を残したい——漠然とではあるが、そんな夢を持っていた。しかし現実は甘くなかった。受験という壁の前で、自分の能力の限界を突きつけられた。夢を諦める悔しさとともに、私は進路を見直すことになった。
悩んだ末に選んだのが医療の道だ。科学者として世界を変えることはできないかもしれない。新しい発見で教科書に名前が載ることも、おそらくないだろう。それでも、目の前の一人ひとりに貢献できる存在にはなれるかもしれない。科学の本質は人の役に立つことではないか。そう自分に言い聞かせながら、医師という道に可能性を見出した。
振り返れば、その選択は間違っていなかったと思っている。
開業して10年が経つ。医師でありながら経営者でもある、このかたちが自分には合っていた。診察室の中だけでなく、クリニックそのものを設計し育てていくことに、私は医療と同じくらいの面白さと責任を感じてきた。患者さんを診るだけでなく、スタッフを育て地域に根ざしたクリニックの文化をつくる。その営みの一つひとつが、科学者になりたかった頃の形を残したいという気持ちとどこかで繋がっている気がしている。
がむしゃらに走り続けた日々の中で、気づけば10年という時間が積み重なっていた。
この間、ずっと変えなかったことがある。医学的に正しいことを正直に伝える。その上で決めるのは患者さん自身だという姿勢だ。
医師として、言いにくいことを言わなければならない場面は何度もあった。現在の医療ではここまでしかできないと伝えれば、この医者はたいしたことないと思われることもある。それは承知している。丁寧に言葉を選び、説明を重ねてもなかなか理解してもらえないと感じる瞬間もある。もっと柔らかく伝えれば良かったのかと自問しながらそれでも敗北感の中で診察室を後にする夜もあった。
それでも言い続けてきたのは、受診される方への敬意からだ。耳障りのいい言葉だけを並べることは一見やさしく見えて、実はその方を軽く扱うことだと思っている。正しい情報を正直に届け、その上で選択を委ねる——それが医師として患者に向き合う、唯一誠実な方法だと信じている。
重症の方には、大学病院でより良い治療が受けられることを伝えてきた。クリニックにとって大切な収入を手放すことを意味しても、そうすることが正しいと思っているからだ。都合のいいことだけを言う医師を私は信用しない。そして、そういう医師には自分はなりたくない。その思いは、10年経った今も変わっていない。
そういったなか、この仕事を続けてきたのには理由がある。
他院でなかなか診断がつかなかった患者さんが、当院での診察をきっかけに正しい治療へ繋がったこと。皮膚のわずかな変化から重篤な病気や悪性腫瘍をいち早く見つけ、専門機関へ紹介することで、その方の命や予後が変わったこと。あの時すぐに動いていなければ、と思うと今でも背筋が伸びる。
小さな女の子が診察中にメモ紙でラブレターを渡してくれたことがある。たどたどしい文字で綴られたその紙を私はずっと大切にしている。その子はその後も折々に通院してくれ、私はその成長をそばで見守り続けた。そしてある日、すっかり大きくなった姿で「この土地を離れることになりました。長い間お世話になりました」と挨拶してくれた。自分の子供を育て上げたような言葉では言い表せない感慨が胸に広がった。
長年通い続けてくれた患者さんが亡くなった後、ご家族がわざわざ挨拶に来てくださったこともある。「最後まで先生を信頼していました」というその言葉は、どんな賞賛よりも重く胸に刻まれている。
言葉にならない感謝を受け取るたびに医師という仕事を選んでよかったと思う。世界は変えられなくても目の前の一人の人生に関わることができる。若い頃に夢見た生きた証は、案外こういうところにあるのかもしれないと今は思っている。
私が患者さんにお願いしたいのは、一つだけだ。信頼していただきたいということ。
私も人間だ。初めから完璧な医療などないし、振り返れば最初の判断が最善ではなかったと気づくこともある。それを認めることを私は恐れない。大切なのはその後だと思っているからだ。間違いに気づいた瞬間から、全力で最善の道を探し挽回する——その覚悟だけは、どんな場面でも手放したことがない。
診断も治療も、常に不確かさと向き合いながら進んでいくものだ。時に遠回りに見える道を歩むこともある。それでも、信頼があれば必ず正しい方向へ繋げることができる。たとえ私一人の力が及ばなくても、最善の選択肢へ導く責任を私は果たし続けたいと思っている。
その確信が、この10年を支えてきた。そしてこれからの10年も、その確信とともに歩んでいく。
これからも、最善を追求し続ける。








